君が幸せである限り

 

大橋くんがアイドルになって10年。

 

小学校に入学した子が大学を卒業するだけの期間、と思うと途轍もなく長い。長くて、大切な時間。

 

 

 

 

私が大橋くんを好きになったとき、大橋くんはまだ高校生で、私はいつも20代の大橋くんを夢見ていた。

 

あの頃、大橋くんが20歳を迎えるまでアイドルでいる保証はどこにもなかった。だからどうか、20歳の大橋くんを、その先の大橋くんを見守らせてください。そればかり祈っていた。

 

と同時に、大橋くんがアイドル以外の在り方を見つけてくれたらいいのに、と思っていた。

私は大橋くんにとにかく幸せになってほしかったから、アイドルという不安定な世界に縛りつけるのが心苦しかった。

不安定なだけではなく、大切な人生を削って舞台に立つ姿に胸が締め付けられた。大橋くんは高校の卒業式の日も、成人式の日も、地元大阪から遠く離れた地でアイドルとして過ごした。

別の道で幸せを見つけられるならきっとそのほうがいい。そう思うことは少なくなかった。

 

 

それでもアイドルとして応援し続けることができたのは、大橋くんが自分の口で「幸せ」だと言ってくれる人だったから。

大橋くんに幸せでいてほしいから応援する、大橋くんが幸せだから応援できる。そんな永久機関みたいな関係でいられて、本当に幸せなファンだなと思う。

 

 

 

大橋くんは無事にアイドルとして20歳を迎えてくれた。

20歳の大橋くんはリューンに滝沢歌舞伎に大活躍だった。私が夢見ていた20歳の大橋くんを軽々と超えていった。

 

 

20歳の大橋くんを見届けることができて、当然次を夢見た。なにわ男子ができてからはもっと遠い未来を想像できるようになった。

 

 

前の記事でも書いたけれど 私はずっと大橋くんがデビューするところを想像できずにいた。

実力をつけても、ファンが増えても、大きな仕事をやり遂げても一向に変わらない立ち位置に半ば諦めていた。だから 口では前向きなことを言いながらもいつか終わってしまうことを前提に見てしまうところがあった。

 

 

なにわ男子のメンバーに選ばれてからはそれをやめた。

全身全霊をかけてこの波に乗らなければならない、と思った。

 

どんなときでも 口に出せば絶対叶うから、と「デビューしたい」と言い続ける大橋くんの言葉に宿る言霊を信じて進もうと決めた。

 

 

 

 

 

大橋くんが入所10周年という節目を迎える2019年は、なにわ男子にとっても大きな節目の年になるだろうな、と思う。

 

結成以降 次々に大きな仕事が舞い込んで、何度も世界が回るのを見た。

 

 

想像もしたことがないような大きな仕事ばかりで、正直実感がなかった私が大橋くんの世界が回ったのを理解できたのは、やっぱり松竹座だった。

 

 

いつもの松竹座。いつもと違う松竹座。

関西の大事な人がふたり、別の場所に飛び立ってから初めての松竹座。

 

 

嫌でもあの最高の夏を思い出した。

 

焼け野原、なんて酷い言葉を背負ったあの夏は、私にとってはアイドル大橋和也に出会った最初で最高の夏だった。

 

 

 

 

この春も、最高の春になった。

 

全力で仕上げてきたコントに意地を感じて笑いながら泣いた。

 

ショータイムの関ジュオリ曲。大橋くんが最初から1列目で歌っているのを見てまた泣いた。

 

あの夏のようなギラギラした熱さに加えて、ジャニストデビュー前夜のような層の厚さも感じた。

そんな関ジュでメインを張る大橋くんが誇らしかった。

 

 

大橋くんが1列目で歌う姿を見て、今まで見た大橋くんの姿がいくつも蘇った。

記憶の中の大橋くんは、どこでだって いつだって今と同じように歌っていた。立ち位置を気にして一喜一憂していた自分が馬鹿らしくなってまた涙が出た。

 

 

大橋くんの世界がぐるりと回っていたのは確かだけれど、大橋くんは初めからもっとずっと先を見据えていて、世界がようやく追いつき始めただけだったんだと気がついた。

 

 

 

 

3/21の日刊なにわ男子、大橋くんの言葉が重く刺さった。

なにわ男子結成時の「安堵」を聞いたときと同じような気持ちになった。ときどきこうしてはっとさせられることがある。

 

 

 

 

青春がまるごとおさまった10年という月日を、アイドルに捧げてくれた大橋くんの幸せに貢献したいなんておこがましいけど、せめて邪魔しないようにしたい。し、誰にも邪魔させない。

 

 

 

正直今でも怖いし不安だし、毎回これが最後かもしれないと思いながら見ています。

それはアイドルとして、だけではなく人はみんないつかいなくなるものだから。

 

 

 

色々な気持ちがぐるぐるしても、それでもやっぱり 大橋くんの次の10年を夢見てしまうし、応援し続けたいなぁ、と思う。

 

 

 

 

10年間アイドルでいてくれてありがとう。

ここまで応援させてくれてありがとう。

君が幸せである限り、どこまでも。

 

 

 

 

大橋くん、世界一幸せなアイドルになって!

 

 

 

 

追記

この道でやっていくと決めたのはなにわ男子ができたとき、という言葉にまたまたはっとさせられた。

私が大橋くんの終わりを考えてしまうことをやめた頃、大橋くんもまたアイドルとしての終わりを見なくなっていたようで、勝手に腑に落ちました。

この道のもっと先にある景色、たくさん見に行こうね。

 

 

 

 

 

最後に。

今日一緒に10周年を迎えるはずだった大切な仲間の未来に乾杯!

 

 

 

 

 

You'll be a lucky boy!

 

2018年10月4日。新ユニットなにわ男子の文字を見た。ひさびさに松竹座以外の会場で大橋くんに会える、と普段は絶対使わないようなピンクのリボンを買った次の日だった。

 

 

 

私が大橋担になったのは関西が焼け野原と言われていた頃で、メイン組すらデビューという言葉を口にしなくなっていたあのとき、「デビュー」を夢として語ってくれる大橋くんがキラキラして見えた。

 

 

でも正直に言うと、大橋くんはきっとデビューできないんだろうなぁと思っていた。つい最近まで思っていた。

主演ミュージカルを大成功させて、滝沢歌舞伎でさらに大きくなって戻ってきた松竹座、大橋くんのセリフはちっとも増えていなかった。悔しかった。あの夏21歳になった大橋くんにはもう日記を読んだり、南の島で雪を見たりするチャンスが訪れることはないんだと気付いて泣いた。大橋くんの大事な10代は3列目で終わっていた。

 

 

 

そんな夏を終えて秋になった。

秋にコンサート。関西Jr.が盛り上がっているのを感じてすごく嬉しかった。特番に大橋くんが呼ばれなかったのは寂しかったけれど不思議と悔しくはなかった。誰かの活躍が関西全体の底上げになる、そんな空気が心地よかった。

 

 

 

その日は突然来た。

 

 

10月4日、震える手で何度も何度も確かめた。

 

関西Jr.4年振りのユニット。

なにわ男子。

大橋和也

 

いろんな感情が駆け巡ったあと、初めにはっきり浮かんだ感情は嬉しさだった。

 

もちろんそのあと不安にもなった。

あまりにも急な展開に心がついていかなくてマイナスなこともたくさん考えた。

大橋くん以外の人のこともたくさん考えた。なにわ男子以外のこともたくさん考えた。

 

でも考えても考えてもどうしようもなくて、本人たちの言葉を待った。

 

 

 

10月6日、西畑くんがなにわ男子のことを話してくれた。ひとつひとつ言葉を選んで、丁寧に誠実に伝えてくれた。「大橋くんは今日からこの人と肩を並べていくんだ」と思って震えた。震えるほどかっこよかった。

 

なにわ男子として初めて載った雑誌を買って読んだ。大橋くんの口から出た「安堵」という言葉にとにかく驚いた。今までずっと「不安」だったんだ、とそのとき初めて知った。と同時に大橋くんに安堵なんて言わせたくないと思った。今に安心するんじゃなくて、未来に期待させてあげたい、と思った。

 

 

個人的にはメンバーカラーの変更が一番こたえた。

大橋くんの誕生日に見たピンクの光の海があまりにも綺麗で忘れられなかったから。西畑くんが「あの人ピンク大好きやから喜ぶわ」と笑っていたことも思い出した。ラジオで決まったあの日からずっと大事にしていた色だった。大事な色にさよならして、また新しく大事な色をもらった。リボンも新しく緑を買った。

 

 

梅芸でのお披露目からは怒涛の流れだった。

梅芸、クリパ、あけおめと3つのコンサート、そして京セラや横アリ、東京ドームにまで立った。雑誌の表紙にもなったしメディアの取材もたくさん受けた。生放送まで経験した。

 

 

大橋くんの活躍の幅は確実に広がった。大橋くんのソロで始まる松竹座なんて夢にも見たことがなかった。夢に見れていなかった自分がちょっと情けなくなった。

 

 

funky8が出来て大橋くんの歌声が少しずつ注目されるようになった頃、ファンレターにこんなことを書いた。

「すばるくんや桐山くんみたいな関西のメインボーカルになってほしいです」

大橋くんは本当に関西を歌で引っ張る人になった。

 

My dreamsのソロパートは息が止まった。

渋谷すばるの歌声をずっと聴いてきた人たちが、このパートを大橋くんにくれたんだと思ったら鳥肌が立った。

 

大橋くんが舞台のど真ん中で楽しそうに歌う姿を見て、なにわ男子になってよかった、と心から思った。

 

 

 

 

なにわ男子はたった100日でありとあらゆることを経験してしまった。オタクですら訳が分からなくなったのに本人たちはきっといっぱいいっぱいだっただろうなぁと思う。

つらいこともたくさんあっただろうなぁ。

なにわ男子結成以降「いろいろな意見があると思うけど」という枕詞をつけて話すようになった彼らの心は私ごときには想像できないけれど、相当な覚悟を決めていることは分かった。

 

応援したいなぁ、と思った。

 

なにわ男子の大橋和也にもう一度落ちた感覚だった。

年上組を支えながら年下組との架け橋になっている大橋くんを改めて好きになった。

 

 

 

 

そして、なにわ男子の第一章が終わった。

 

なにわ男子結成以上の激震が関西に走った。

また関西の体制が変わる。変わってしまう。

 

 

これで名実ともになにわ男子が関西を支え、引っ張っていかなければならなくなる。惜しむ時間すらない。自分の夢だけではなく、関西ジュニアそのものの夢を背負う、これは関西のグループ特有の宿命だと思う。

 

結成したばかりだから、という言い訳はもう効かない。

たった3ヶ月とはいえ、この間に3つもコンサートを経験させてもらったから。梅芸でお披露目、ホームの松竹座に戻り、城ホールへ。さらにその合間に先輩方のおかげで京セラドーム、横浜アリーナ、そして東京ドームのステージにも立てた。

ここまで一気にグループとしてのいろはが叩き込まれたのはもしかしたらこのためだったのかもしれない。

ここから先はきっと私たちには見えないようなところでたくさん頑張らなければいけない期間なんだろうな、と思う。

 

 

本当は大橋くんの背中には羽だけがあってほしい。重いものなんて背負わせたくない。 

でも大橋くんは重たいものとすら仲良くやってきいそうだからもうどうしようもないな〜なんて思ったりもする。

だから重しを取り上げようとするんじゃなくて、憧れの場所に向かって飛ぶ大橋くんの前で「こっちだよ、がんばれ」ってペンライトを振ってあげたい。

 

 

 

 

これからのなにわ男子。

 

不安よりも楽しみのほうが大きい。

若い学生組が3人もいて、これからどう変わっていくのか未知数で。年上組は着実に絆を深めていて。最初の100日間でたくさんの経験をもらって、これ以上ないスタートを切れて。

 

大橋くんを夢の場所に連れて行ってくれる最後の希望かもしれない。大事にしたい。

 

今までの関西が大好きだけど、大好きだからこそ、なにわが引っ張るこれからの関西も最高だって思われたい。なにわ男子がこの7人でよかったって言われたい。

 

 

大橋くんに見せてあげたい景色はまだまだたくさんある。一緒に見れなくてもいい。

大橋くんにはどんどん遠くに行って、追いつかないくらい遠くに行って、いっぱい綺麗な景色を見てほしい。

 

そのときに大橋くんの横にいるのがなにわ男子の6人だったらいいな、ともっと強く確信できるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

はじめてのオリ曲タイトルにもある"lucky"という言葉。「運が良い」以外に「幸運をもたらす」という意味があるそう。「運が良い7人組」で終わるのか「幸運をもたらす7人組」になるのか。

なにわ男子の未来はまだまだこれから。